お髭処blog

ドイツのものを中心としたボードゲーム・カードゲームのプレイ記録・感想を中心としたブログです。最新のドイツゲームから、紀元前から伝わるゲーム、旧西ドイツ製のレアゲーム、日本伝統の博打まで幅広くプレイしています。

1990年代以降のアナログゲーム事情を僕視点で その1


1990年代以降の僕が見たアナログゲーム事情。当時僕は千葉県の船橋市住まいでしたので、関東での出来事が中心となります。
昨年2017年末に連投したツイートを再編集しました。
1993年(?)、スーパーファミコン雑誌にTRPG記事やメールゲーム連載が掲載されて、同出版社から「テーブルトークRPGがよくわかる本」(安田均)が出版。僕をその世界に引き込むという事件があった。
1994年冬(?)、船橋のときわ書房にて初めてRPGのルールブックを買う。「真・女神転生RPG基本システム」。しかし、趣味の読書用でしかなかった。中学生の僕にはプレイ環境がなかったのである。
1994年4月、高校入学。なんと、RPG同好会なる会が存在し入部。ソードワールド女神転生などで遊ぶ。結局部長まで務める。千葉県立国府台高校。
1995年頃、LOGOUT誌購読。表紙がいつも可愛い女の子のアニメ絵で、えらく買いにくかった。同誌連載の「おこんないでね」は僕に大きな影響を与える。この頃、真・女神転生RPGファンクラブ「T∴O∴H(トーハ)」の会員に。
1995年(夏頃?)、LOGOUT誌に記事が載ったMagic the Gatheringに興味が向く。しかし、英語なのが躊躇させる。確かRPGマガジンでホビージャパン社がルール翻訳をポストホビー店舗で配ると読み、津田沼同店で貰いスターターを買う。第四版。同時期日本語本も出る。それが12月。
1995年12月末、前述トーハファンクラブイベントで「東京オカルトバスツアー」に参加。初めて趣味のイベントへの参加である。高校2年生だったのでちょっとした冒険だった。スーパーファミコン真・女神転生if…発売直後でその話をする人が多かった。ゴーストハンターRPG発売直後でもあった。
そのイベントは乃木神社で解散した。東京の地理に明るくない僕を、その日知り合った人が新宿まで一緒に歩いてくれた。そして、Magicを始めたと聞いて、西口のイエローサブマリンへ連れて行ってくれた。衝撃だった。ポストホビー以外のホビーショップの存在を知った。シングルカード販売を知った。
その時案内してくれた大学生位の方は、武蔵小金井か東小金井かの神社に集まりMagicをやっていると言っていた。お元気だろうか。恩人である。連絡先は交換しなかった。そういう作法を知らなかったのである。そうは言っても自宅の電話番号と住所位しか渡せるものは無かったけれど。当時の僕にとって、インターネットは異世界の話だった。あるいはインターネットのことは知らなかったかもしれない。
その1995年末か1996年明けすぐにイエローサブマリン御茶ノ水店が開店。なんと、Magic the Gathering 専門店である。近くにはスポーツカードミント(こちらは2017年も営業していた)、書泉ブックマートがあった。後にフューチャーBeeも徒歩圏内に開店する。
一駅隣の九段下にメビウスゲームズがあったはずだけど行かなかった。もったいなかった。何かで広告を見た記憶はあるけれど、イエローサブマリンやポストホビー、書泉に比べたらマニアックで行きにくく感じたのである。ドイツゲームというジャンル自体知らなかった。
僕の知る範囲では1995-96年、お茶の水・神保町はカードゲーム・ボードゲームのお店が複数あった。秋葉原のお店に行った記憶はない。イエローサブマリンやトライソフトができて以降、秋葉原に同ジャンル店が増えたのではなかろうか。多分秋葉原イエローサブマリンが開店するのは98年。
1997年度、大学受験のため浪人。西千葉の河合塾へ通う。当時ゲームセンターにあったゲーム:タイムクライシス(1)、ストリートファイター3 2nd impact、キングオブファイターズ97、同98。
その年は西千葉駅前の小さなマンガ専門店で Magic the Gathering のクロニクルイタリア語版の売れ残りを日々チビチビと買っていた。
また、同年度千葉中央駅前にイエローサブマリン千葉店が開店。受験勉強の「合間を縫って」何回も行った。広々としたMagic中心の店舗だったように記憶。鉄道の定期券範囲外だったので、西千葉駅から歩いて行き、帰りも歩いて帰った。今考えると結構な距離だと思う。そこの宮川店長とは後に知り合うことになるけれど、当時は知らなかった。
1997年、東京は水道橋駅近くにフューチャーBee開店。広大なプレイスペースを持つTCG売店。スペースは安かったと記憶。マジック絶版のベータがえらく安かったり賞品でバンバン配っていた記憶あり。ハドソンの経営あるいは資本が入った店だと思う。
96年から97年は東京に劇的にトレーディングカード専門店が増えた年との印象がある。RPGマガジンの広告や、それを出版したりMagicの輸入をしていたホビージャパンが無料配布していた冊子に掲載していたMagic取扱店一覧を頼りに東京へ出かけてゆき、見て回ったりもした。だいたいが小さなビルの2階3階にあった。
この頃、東京マニアスポットガイド的ムック本が発売される。3年連続で発売されたけれど、発売年も正式な書名も思い出せない。実家に帰れば1冊だけ残している。今なら「おたく」という言葉を使うのだろうけれど、当時は侮蔑的な意味合いが強かったので、「マニア」という単語が使われたのだと思う。奥野かるた店については「戦前から任天堂と取引がある」と書かれていたのが記憶に残っている。でも、活用したのは98年に大学に入ってからのような記憶もあるので、97年にはまだなかったのかもしれない。とにかくその本は役に立った。
続く。