お髭処blog

ドイツのものを中心としたボードゲーム・カードゲームのプレイ記録・感想を中心としたブログです。最新のドイツゲームから、紀元前から伝わるゲーム、旧西ドイツ製のレアゲーム、日本伝統の博打まで幅広くプレイしています。

メルマガ「結城浩の『コミュニケーションの心がけ』」2014年12月23日 Vol.143 で質問が取り上げられました

購読している有料メルマガ「結城浩の『コミュニケーションの心がけ』」2014年12月23日 Vol.143 で質問が取り上げられました

結城浩先生(id:hyuki, [twitter:@hyuki])僕が大学でCでプログミングやコンピューターの勉強をしていた頃(1998年-2002年頃)から(一方的に)お世話になっていました。プログミング入門者の僕は、大学で苦戦すると結城先生のC言語本で勉強しました。わかりやすい言葉で書いてあったことと、(確か)Cマガジンで連載があったので信頼できる本だと考えたのですね。個人サイトも信頼感を上げました。(余談ですが、そのサイトは後に僕が個人サイトを作る際の方針の一つの基準になりました)
その後、仕事でプログラムを書いて給料を貰っているのだからありがたいことです。直接的には仕事でCのコードを書いたこともありました。(汎用機のCOBOL/Sコードと連携する、MS OS/2 用アプリケーション)
さて、その感想を書きます。
質問は僕の書いたものをもとに編集したものかと思われますので、全文引用します。

●質問

結城先生こんにちは。結城メルマガへの要望です。
結城先生の本との付き合い方、生活の中の本について、ぜひメルマガで読んでみたいと思っています。
先生の書かれているものを拝読していると、文章を書かれているのはもちろん、大変勉強なさっている(読書なさっている)と感じるからです。
本の読み方、本のある生活スタイルなどについてもお聞かせください。
以前、線を引いたり書き込みをしたりして本を読んでいるというお話がありました。
現在はどのようにお考えでしょうか。
効率的な読書術を知りたいというより、先生が本を生活の中にどのように位置付けているのかをおうかがいしたいです。
そして、学んだことを自分の生活に取り入れたいと思っています。
よろしくお願いいたします。

「以前、線を引いたり書き込みをしたりして本を読んでいるというお話がありました」というのは、おそらく次の日記で読んだものです。

 「自分が読んでいる本は、とても少ない」

 「同じ本を何度も繰り返して読む」

これはとても意外でした。読書や勉強術系の本を読むと、ほとんどで著者は多読で、読者にもそれを勧めているからです。

●自分のテイストを確認する


おそらく、情報を得るために読んでいるのではないからでしょうね。

本に書かれていることを読む。
以前は「いいな」と思ったことが「そうかなあ」と感じられるようになった。

これを、本に原因があるのか、読者にあるのかを吟味するそうです。そのような場合、僕は過去の自分に読む力が足りなかったとか、感性が未熟だったと考えていました。新しい視点を得ることができました。
「情報を得るため」という表現はハッとさせられます。「勉強する」読書は「情報を得る」読書だけではないのです。

●再読に耐えられる本を集める


「自分の古典」を作ることは、自分以外にはできません。
…再読したときにどう感じるかまでは、他の人に任せられません。

他の人との比較が無意味になった時点で、
読書は純粋な楽しみに変わります。

これは僕にとって完全に新しい視点でした。今回のQ&Aで一番勉強になりました。
同じ本を読むのでも、これを意識しているとその本を読む位置付けがはっきりしそうです。

●仕事としての読書

…内容が自分で理解できないほど難しかったらだめです。
…めげてしまったり、勝手な推測で誤解してしまったりする危険がありますから。

僕は職場でスーパープログラマー的な人からコンピューターの技術書について、「入門書や雑誌はダメ。それ単体では役に立たないし、別の『しっかりした本』も読むことになる(から時間がもったいない)」と教わりました。「しっかりした本」とは、その技術を作った人や中核にいる人による網羅的な本でしょう。確かにそういう本は設計思想も書いてあることが多いですし、内容に根本的な誤解があることもありません。
でも、それをするととても時間がかかるのですね。理解しやすい本を読んだ後にそういう本を読んだ方が時間が短く、内容を理解できることがあります。
この兼ね合いはよく考えないといけませんね。

●本は買うもの、書き込むもの

ということで、現在でも結城は本に線を引いたり書き込みをしています。
そしてそのために、「本は買う」ようにしています。

その後の資料化の方法は考えたことがありませんでした。本に線を引いたり書き込みはしていませんでした。人に貸したり、手放すときに価値が落ちるのが気になっていたからです。手放したくない重要な本は、次世代に引き継ぐときに価値を下げているような気がします。でも、この方法と組み合わせると資料としての価値が上がります。よく考えてみると、仕事向けの勉強本はこの方法がいいように感じます。(道具が家にないな

●間合いを計る手段としての本

自分自身を客観視する方法が言語化され、とても勉強になりました。
以下、Q&A以外についてです。

自分の仕事を必要以上にドラマティックにするな。
淡々と今日の作業をしよう。
仕事は、呼吸である。
劇的な呼吸など、ない。

ああ、これは自分自身に言い聞かせないとなあ。就職した直後、仕事を短距離走のようにしていたことがありましたが、実際にはマラソンのようなものでした。しかしながら周囲は短距離走のパフォーマンスを求めることもあり、そうすることが多々ありました。今もそうしがちなところがあります。もちろん締め切り等力を入れる必要がある場合はあるのですが。

それから「結城メルマガ」をお知り合いにご紹介くださる場合には、このメールを「まるごと転送」してくださってもかまいません。
「結城メルマガ」を気に入ってくださりそうな方へ、ぜひご紹介くださいね。よろしくお願いいたします。

ということですので、気になる方はご連絡ください。
とりあえずは実際にお会いしたことがある方と、ボードゲームで一緒に卓を囲んだことがある方で。

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